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PROFILE

星本エリー アーティスト写真

星本エリー
Ellie Hoshimoto
  • 生年月日 1983年10月31日
  • 星座 さそり座
  • 出身地 兵庫県姫路市
  • 血液型 O型
  • 特技 クラシックバレエ(13年)ダンス[JAZZ・HIPHOP](10年)、スノーボード(13年)
  • 趣味 映画鑑賞(月に4回は映画館へ)音楽鑑賞、ボーリング、ショッピング(特に通販)、お笑いDVDを見ること
  • 好きなアーティスト MISIA、山口百恵、和田アキ子、德永英明、Christina Aguilera etc…

「私たちの歌」を探し続けるひとたちへ ~ 80年代からのエール

80年代に青春期を過ごした人々は、今どんな風に音楽を楽しんでいるのだろう。
私自身がそんな世代の人間である。そういえば馴染みだったレコード店がいくつかあったが、今ではみんな無くなってしまった。40~50代のオジサン・オバサンとなって、もう音楽なんて聴いてないよという友がいる。引っ越しと同時にステレオさえ処分してしまったとか。
「若いやつらに気を使って選曲するのが億劫で、会社の人間とカラオケに行くことも減った」なんて話も聞く。かと思えば、若い女性社員から『銀恋』いっしょに歌って下さいよ、なんて変な気をつかわれたりするのだそうだ。そりゃもちろん歌えないことはない。歌えないことはないが、残念、それは「私たちの歌」ではない。

我々は、アイドルも演歌もJ-POP(あの頃はそんな呼び名はなかったが)も、同じ歌番組の中で聞き覚えた最後の世代ではないだろうか。音楽を持ち歩くことを覚え、洋楽のミュージックビデオに衝撃を受けたりと、なんでも貪欲に真剣に素直に音楽と向き合った時代だった。団塊の世代が走りぬけた後の砂埃の中…80年代は特別に新しいものが生み出された時代ではなかったかも知れないが、それでも大切な「私たちの歌」があった。
ニューミュージックでもアイドルでもいい。派手なギミックでもシンプルに歌唱力勝負でもいい。我々の心に突き刺さるかどうか、プロのクリエイターたちがあの手この手で繰り出す作品をそんな判断基準だけで評価し、「私たちの歌」を集めていった。例えば、我々には「私たちのロック」や「私たちのR & B」があり、今の若者には彼らだけの「ロック」「R & B」があるはずだ。どちらが音楽的に優れているという問題ではない。ただ、我々の心を心地よく揺さぶるのは、80年代に探し求めたあの頃の歌の中にしかない、ということなのだ。

さて、星本エリーのデビューについて話をしよう。
彼女のデビュー曲「涙が止まらない」は作詞・売野雅勇/作曲・鈴木キサブロー。売野雅勇氏といえばチェッカーズや中森明菜の一連の作品で、鈴木キサブロー氏は「輝きながら…」「for you…」などのポップススタンダードや数多のアニメ・特撮作品を手がけた、まさに80年代日本音楽界の影の主役であり、時代が求めたプロだった。プロの持つ多くの引き出しから、80年代音楽の遺伝子を持った「私たちの歌」にふさわしい楽曲として星本に用意されたのが、ほんのりモータウンの香りが漂うこの曲である。大人になった「少女A」は、きっとこんな曲をくちずさむのではないだろうか、なんて、あの時代を過した世代だけに見える情景が、この作品にはある。さらに、ただの中途半端な懐古趣味ではなく、星本という歌い手を通して我々世代へエールを送ってくれているようにも感じられる。
もう一度「私たちの歌」を見つけてよ、「私たちの歌」を歌ってよ、と。

星本自身もまた、音楽ジャンルに関しての偏見がないのだろう。彼女の好きなアーティストを聞くと山口百恵、中森明菜、和田アキ子からクリスティーナ・アギレラ、ビヨンセまでと、肉食系ならぬ、雑食系の健全さを感じる。理屈ではなく、直感で音楽を感じる、アタマでっかちじゃない柔軟性が、彼女の大きな武器になっていくのは間違いない。80年代を支えたプロの手にかかって、彼女の才能がどんな形で花開いていくのか…流行歌が存在した頃のそんなわくわくが、星本エリーから溢れてくるような気がする。

家のCDラックの音源をすべて携帯プレーヤーに移し終えたら、音楽との関わりまでが一区切りついてしまうような、そんなオジサン・オバサンにはなりたくないなあと思う。かといって、少し背伸びして音楽と付き合う柄でもなくなった。自然体の自分が、気が付いたらふと、くちずさんじゃっているような曲。新しい「私たちの歌」は多分、こんな楽曲なんだ…そんなことを考えながら、星本のデビュー曲の一節を鼻歌で歌っている "オヤジ" がここにいる。